日ノ本塾から「Fuji-Sun マリコアカデミィ」へ名称変更いたしました
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【アーカイブ】美濃部少佐と芙蓉部隊の物語(会員)
¥3,000
特攻せず!独自の夜襲攻撃で終戦まで戦い抜いた 美濃部少佐と芙蓉部隊の物語 ~日本を、部下を、愛し守ろうとした美濃部少佐の意識と覚悟~ _______________________________ 会員(※) 3,000円(税込) ※アーカイブでのご視聴ですので、基本的にキャンセルは承りません。 ご了承ください。 ※会員とは・・・ ・マリコアカデミィ受講生 ・マリコミュニティ会員 ・マリコアカデミィ卒業生(過去に講座を受講された方) ・単発講座の参加者(過去に対談セミナーなどに参加された方) ・イシキカイカク大学同窓生 ・世界再生会議会員 ・各綜學院受講生 _________________________________ 壮絶を極めた沖縄戦。全軍特攻!の嵐の中、 ただ一人、特攻作戦を断固拒絶し、立ち上がった指揮官がいた 終戦の8月が訪れようとしています。 今年は戦後75年、沖縄返還から50年という節目の年となります。 昭和20年3月から6月にかけての沖縄戦では、 特攻作戦が展開され、多くの若い命が青い海に散っていきました。 居並ぶ参謀が「もはや特攻作戦しかない」という空気をつくる中、 たった一人、「異議あり!」と立ち上がった若き少佐がいました。 それが、海軍の美濃部正少佐です。 美濃部少佐は、最若年の指揮官であるにもかかわらず 大御所の参謀たちに向かって断固拒否を主張し、 そんなに特攻ができると思うのなら、 まずはここにいるお歴々が練習機に乗って 向かってくるがいい。私が零戦一機で、 すべて打ち落としてみせる! とまで喝破したのです。 美濃部少佐を駆り立てたものは、何か。 なぜ芙蓉部隊は、限界突破できたのか。 戦時中、命令に逆らえば抗命罪となります。 ともすればその場で射殺ということにもなりかねません。 美濃部少佐は、それを承知の上で、 命令拒否をしたのでした。 のみならず、 どのような作戦を展開すれば良いのか その作戦を実施するには、どのような訓練をすれば良いのか 誰も思いつかないような作戦計画を立て、実施したのです。 「たった一度の攻撃で、飛行士も飛行機も失うよりも 必ず帰ってきて、何度でも戦いに出られるようにする方が どう考えたって建設的ではないか」 冷静に考えれば、誰もが導き出せる答えです。 しかし終戦末期、参謀も指揮官も思考停止状態となり それができませんでした。 もし、考えついたとしても、それを実施するだけの 気力も能力も忍耐力も、失っていたといっていいでしょう。 それだけに、美濃部少佐の意識と覚悟と行動力は 驚異的とさえいえます。 そして、その美濃部少佐をひたすら信じ切って 限界を超える攻撃を続けた、 二十歳前後の若き隊員たちもまた、尋常ではありません。 武士道とは愛することと見つけたり いったい、何が、彼らの限界を超えた戦いを 可能にしたのでしょうか。 私には、どうしても、 美濃部少佐の限りない愛が すべての原動力になったとしか思えないのです。 「命は鴻毛よりも軽し」といわれ 「潔く死ぬことが日本男子の本懐」とばかり諭され 「特攻は各自の意思に任せる」としながらも実は強制。 世界の戦史をみても 「死ね」という命令はありえない・・・ そうした中、美濃部少佐は、日本の将来を担う 若い隊員たちを守りたいと願いました。 「次の日本を背負うのは、我々ではない、 二十歳前後の若い彼らだ」 若干29歳の美濃部少佐の想いです。 戦って散るだけが戦争なのか。 敗戦確実となった今、戦後日本において 今度は「復興」という不屈の戦いが待っている。 私には、美濃部少佐がそこまで見越していたとしか思えません。 愛する故郷、日本を護るために 愛する部下には、生き残ってもらう必要があるのです。 芙蓉部隊のふるさと、岩川でまさかの出逢い 私が美濃部少佐と出会ったのは、 2016年5月14日、鹿児島県曽於市にある 岩川という小さな町でのことでした。 私は武士道を家庭の躾に生かすことをテーマにした 講演のために訪れたのであって 芙蓉部隊のことも、美濃部少佐のことも まったく知りませんでした。 講演が終わり、その主催者から渡された一冊の本・・・ そこに 『大隅町と芙蓉の塔』とありました。 それは、かつて芙蓉部隊の飛行士だった方が 芙蓉部隊のことを、子細に書いたものだったのです。 それからというもの、私はのめり込むようにして 美濃部少佐と芙蓉部隊のことを調べ上げました。 生存者との巡り会い、 取材を拒否し続ける美濃部少佐のご遺族との まさかの全面協力・・・ ごく短期間に、信じがたいことが連続して起こり 気づけば、猛然と執筆に向かっていたのです。 実は私は、戦争のことだけは題材にすまい、としてきました。 私には戦争のことを書く体力も精神力もない そうわかっていたからです。 けれど、美濃部少佐と芙蓉部隊については もはや、有無を言わさずでした。 これは書かなければ・・・と、そんなことさえも もう忘れていました。 執筆中は、まさかの肺炎を発症しました。 ちょうどお盆の時で、英霊が集まってきていることは 十分に感じていました。 霊感のある友人は、私が「連れて行かれる」と恐れていたほどです。 四十度近い発熱が4日以上続き、お盆明けに病院に行くと 左肺が真っ白になっていました。 スピリチュアル的にいえば、 悲しみがあまりに深いとき 肺が白くなってしまうのです。 友人の心配は杞憂に終わり、 私は連れていかれは、しませんでした。 美濃部少佐が守ってくださったのだと思っています。 体力を消耗しながらも、後半を一気に書き上げて 無事、約束の原稿締め切り日であった8月31日に 編集者へ、送りました。 固唾をのんで見守っていた編集者は、泣いていました。 そうして完成したのが『五月の蛍』という一冊です。 生まれて初めて、 「これを書き終えたら死んでも構わない」 そう思えた本でした。 『五月の蛍』は終わらない物語 実は、原稿を書き終えるときに、 妙な感覚がありました。 美濃部少佐が、「去って行かない感じ」がしたのです。 今まで経験したことがないことでした。 歴史人物のことなどを書いているときには 近くにその存在を感じます。 そして、書き終えるときに、「お別れ」がきます。 去って行く(上がっていく)のを感じるのです。 それが、美濃部少佐は、ありませんでした。 不思議に思っていたのですが その理由は、やがて知るところとなりました。 『五月の蛍』を書き終えた、その後、 まるで、もうひとつの物語が始まったかのように 特攻隊や芙蓉部隊を中心とした英霊との 不思議な巡り会いが始まったのです。 それは謎解きのために用意された 神さまのお導きのようでした。 いえ、きっと、そうなのです。 そうして、 『五月の蛍』を執筆していた時の私には まだ知り得なかったようなことが、 次々と明らかになっていきました。 その究極は、特攻出撃が最もあった鹿屋基地から 海上自衛隊の航空機に乗って 特攻隊と同じ滑走路から飛び立ったこと! 眼下には鹿児島湾の海がきらきらと光っていました。 飛行機が旋回すると、鹿児島の町が見えました。 たくさんの家々、学校、公園・・・ 操縦席のすぐ後ろに座って 彼らが別れを告げた開聞岳を 小さな窓から目にしたときには 溢れる涙を止めることが出来ませんでした。 その、少し後のことです。 飛行機が大きく旋回し、再び、鹿屋基地を目指して 航路をとりました。 「僕たちは、こんなふうにして帰りたかったんだよ」 ・・・・。 勝手な想像と言われても構わない。 私には、そう、聞こえました。 彼らの、特攻出撃した彼らの、言葉にならない声が。 ああ、だから少佐は、どうしても拒否したんだ。 少佐の覚悟の理由も、肌で感じました。 護国の英雄は、今なお祖国を守っている 今回、久しぶりに、美濃部少佐と芙蓉部隊のこと そして、特攻作戦のことを、お伝えしたいと思いました。 かねてよりお伝えしているように、 私たちは今なお、英霊に守られています。 不安や恐れが生じるような大変化の時代にあって 昨年から始まったパンデミックは 私は「新手の戦争」だと見ています。 だからこそ、英霊は日本を守るために 今なお、眼には見えない戦いを繰り広げているのです。 そのもとで、私たちは 今日もこのようにして「ふだんの暮らし」を することができています。 今、彼らの生き方を、美濃部少佐の覚悟を知ることは 私たちが、これからの大きな変化の波を 力強く生き抜いていく上で、非常に大きな意味があると 私は確信しています。 抗えば命を奪われかねないような状況の中で それでもなお、信じるところを貫いていった。 この事実を、その覚悟の背景にあるものを 私は、もっともっと知っていただきたいのです。 私たちが、どんな力に守られているのか どんな存在に守られているのか、 それを知っていただきたい。 かつて、私たちと同じように、 家族があり友人があり 「明日がある」と信じていた人たちのことを。 戦争の話は苦手という人もいらっしゃることでしょう。 悲しく重い内容を、今は、聴くことができそうにないと 思われるかも知れません。 実際、戦争を扱ったものは、 落ち込むような内容が多いので そう感じるのもやむを得ないと思います。 けれど、これだけは言えます。 私がお伝えする美濃部少佐と芙蓉部隊のことは 衝撃になるとは思いますが 力と勇気にもなるはずです。 私にしか、語ることのできない 内容です。 みなさんが、彼らの大きな愛を感じてくださったら・・・ それはまさしく 慰霊にほかなりません。 一人でも多くの人に、この願いが届きますように。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。
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アーカイブ・自分プロデュース時代の思考法(会員チケット)
¥5,555
◆受講料(コミュニティ会員) 5,555円 ※アーカイブにてご受講いただけます。 ※アーカイブ受講が可能なこと、プレ動画の特典があることなどの理由から この講座についてのキャンセルは申し受けできませんので、ご理解・ご了承ください。 【特典】 申込みくださった方へ、もれなく約45分の「プレ動画」をお届けいたします。 ぜひご視聴のうえ、吉田さんに教えて欲しいことなど、ご質問を事務局へお知らせください。 チェッカーズ、おニャン子クラブ、団子三兄弟、おくりびと、モンスターハンター・・・ 誰もが知る数々のヒットを手がけ、まさに時代を創出した辣腕プロデューサー・吉田就彦さんとの対談セミナーです。 風の時代に相応しい仕事や手働き方とは? 今、私達は、この問いかけと日々向き合い続けています。 この問いかけへの答えが「自分プロデュース」なのです。 では、プロデュースとは何か? それに答えてくれる人は、吉田就彦さんをおいて他にはいないというくらいです。 このセミナーでは、きっと「自分プロデュース」のヒントを掴めるはずです。 そして、行動に落とし込んでいくことで、より自分らしく輝いていくことができるでしょう! ●プロフィール:吉田 就彦 よしだ・なりひこ:キャニオンレコード(現〈株〉ポニーキャニオン)で、音楽・映像・マルチメディアの制作・宣伝業務に20年間従事。制作ディレクターや宣伝プロデューサーとして「チェッカーズ」「おニャン子クラブ」「中島みゆき」「だんご3兄弟」など数々のヒットを手がける。映画プロデューサーとして「教祖誕生」「KAMIKAZETAXI」なども制作。デジタルガレージに転職後、EC事業立ち上げ、デジタル・マーケティング・コンサルや人材開発を手掛けている。現在は、ヒットコンテンツ研究所代表取締役社長としてコンテンツビジネスコンサルと人材教育を手がけている。デジタルハリウッド大学院専任教授。 【著書】「ヒット学―コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則」(ダイヤモンド社)、「アイデアをカタチにする仕事術-ビジネス・プロデューサーの7つの能力」(東洋経済新報社)、「大ヒットの方程式-ソーシャルメディアのクチコミ効果を数式化する」(共著;ディスカヴァー・トゥエンティワン) ●主催:吉田就彦研究室 ●併催:ヒットコンテンツラボ
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アーカイブ・自分プロデュース時代の思考法(ビジターチケット)
¥6,666
◆受講料(ビジター) 6,666円 ※アーカイブにてご受講いただけます。 ※繰り返しアーカイブ受講が可能なこと、プレ動画の特典があることなどの理由から この講座についてのキャンセルは申し受けできませんので、ご理解・ご了承ください。 【特典】 申込みくださった方へ、もれなく約45分の「プレ動画」をお届けいたします。 ぜひご視聴のうえ、吉田さんに教えて欲しいことなど、ご質問を事務局へお知らせください。 チェッカーズ、おニャン子クラブ、団子三兄弟、おくりびと、モンスターハンター・・・ 誰もが知る数々のヒットを手がけ、まさに時代を創出した辣腕プロデューサー・吉田就彦さんとの対談セミナーです。 風の時代に相応しい仕事や手働き方とは? 今、私達は、この問いかけと日々向き合い続けています。 この問いかけへの答えが「自分プロデュース」なのです。 では、プロデュースとは何か? それに答えてくれる人は、吉田就彦さんをおいて他にはいないというくらいです。 このセミナーでは、きっと「自分プロデュース」のヒントを掴めるはずです。 そして、行動に落とし込んでいくことで、より自分らしく輝いていくことができるでしょう! 【主な内容】 1.そもそもプロデュース(プロデューサー)とは何か 2.社会の「グローバル化」「フラット化」「デジタル化」が意味するもの(一人一人がプロデュース力が必要となる) 3.仕事=生き方の時代における幸福の尺度(自分の人生をいかにプロデュースするか) 4.ロジックよりも感性 5.これからのプロデュースに必要な「視点」「観点」「思考」 6.大大大ヒットか、それとも凡ヒットか? 7.「価値=勝ち」を自分から取りに行くために必要なこと 8.まとめ ●プロフィール:吉田 就彦 よしだ・なりひこ:キャニオンレコード(現〈株〉ポニーキャニオン)で、音楽・映像・マルチメディアの制作・宣伝業務に20年間従事。制作ディレクターや宣伝プロデューサーとして「チェッカーズ」「おニャン子クラブ」「中島みゆき」「だんご3兄弟」など数々のヒットを手がける。映画プロデューサーとして「教祖誕生」「KAMIKAZETAXI」なども制作。デジタルガレージに転職後、EC事業立ち上げ、デジタル・マーケティング・コンサルや人材開発を手掛けている。現在は、ヒットコンテンツ研究所代表取締役社長としてコンテンツビジネスコンサルと人材教育を手がけている。デジタルハリウッド大学院専任教授。 【著書】「ヒット学―コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則」(ダイヤモンド社)、「アイデアをカタチにする仕事術-ビジネス・プロデューサーの7つの能力」(東洋経済新報社)、「大ヒットの方程式-ソーシャルメディアのクチコミ効果を数式化する」(共著;ディスカヴァー・トゥエンティワン) ●主催:吉田就彦研究室 ●併催:ヒットコンテンツラボ ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。
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【アーカイブ】美濃部少佐と芙蓉部隊の物語(ビジター)
¥4,000
特攻せず!独自の夜襲攻撃で終戦まで戦い抜いた 美濃部少佐と芙蓉部隊の物語 ~日本を、部下を、愛し守ろうとした美濃部少佐の意識と覚悟~ _______________________________ ビジター 4,000円(税込) ※アーカイブでのご視聴ですので、基本的にキャンセルは承りません。 ご了承ください。 ________________________________ 特攻せず!独自の夜襲攻撃で終戦まで戦い抜いた 美濃部少佐と芙蓉部隊の物語 ~日本を、部下を、愛し守ろうとした美濃部少佐の意識と覚悟~ _______________________________ _________________________________ 壮絶を極めた沖縄戦。全軍特攻!の嵐の中、 ただ一人、特攻作戦を断固拒絶し、立ち上がった指揮官がいた 終戦の8月が訪れようとしています。 今年は戦後75年、沖縄返還から50年という節目の年となります。 昭和20年3月から6月にかけての沖縄戦では、 特攻作戦が展開され、多くの若い命が青い海に散っていきました。 居並ぶ参謀が「もはや特攻作戦しかない」という空気をつくる中、 たった一人、「異議あり!」と立ち上がった若き少佐がいました。 それが、海軍の美濃部正少佐です。 美濃部少佐は、最若年の指揮官であるにもかかわらず 大御所の参謀たちに向かって断固拒否を主張し、 そんなに特攻ができると思うのなら、 まずはここにいるお歴々が練習機に乗って 向かってくるがいい。私が零戦一機で、 すべて打ち落としてみせる! とまで喝破したのです。 美濃部少佐を駆り立てたものは、何か。 なぜ芙蓉部隊は、限界突破できたのか。 戦時中、命令に逆らえば抗命罪となります。 ともすればその場で射殺ということにもなりかねません。 美濃部少佐は、それを承知の上で、 命令拒否をしたのでした。 のみならず、 どのような作戦を展開すれば良いのか その作戦を実施するには、どのような訓練をすれば良いのか 誰も思いつかないような作戦計画を立て、実施したのです。 「たった一度の攻撃で、飛行士も飛行機も失うよりも 必ず帰ってきて、何度でも戦いに出られるようにする方が どう考えたって建設的ではないか」 冷静に考えれば、誰もが導き出せる答えです。 しかし終戦末期、参謀も指揮官も思考停止状態となり それができませんでした。 もし、考えついたとしても、それを実施するだけの 気力も能力も忍耐力も、失っていたといっていいでしょう。 それだけに、美濃部少佐の意識と覚悟と行動力は 驚異的とさえいえます。 そして、その美濃部少佐をひたすら信じ切って 限界を超える攻撃を続けた、 二十歳前後の若き隊員たちもまた、尋常ではありません。 武士道とは愛することと見つけたり いったい、何が、彼らの限界を超えた戦いを 可能にしたのでしょうか。 私には、どうしても、 美濃部少佐の限りない愛が すべての原動力になったとしか思えないのです。 「命は鴻毛よりも軽し」といわれ 「潔く死ぬことが日本男子の本懐」とばかり諭され 「特攻は各自の意思に任せる」としながらも実は強制。 世界の戦史をみても 「死ね」という命令はありえない・・・ そうした中、美濃部少佐は、日本の将来を担う 若い隊員たちを守りたいと願いました。 「次の日本を背負うのは、我々ではない、 二十歳前後の若い彼らだ」 若干29歳の美濃部少佐の想いです。 戦って散るだけが戦争なのか。 敗戦確実となった今、戦後日本において 今度は「復興」という不屈の戦いが待っている。 私には、美濃部少佐がそこまで見越していたとしか思えません。 愛する故郷、日本を護るために 愛する部下には、生き残ってもらう必要があるのです。 芙蓉部隊のふるさと、岩川でまさかの出逢い 私が美濃部少佐と出会ったのは、 2016年5月14日、鹿児島県曽於市にある 岩川という小さな町でのことでした。 私は武士道を家庭の躾に生かすことをテーマにした 講演のために訪れたのであって 芙蓉部隊のことも、美濃部少佐のことも まったく知りませんでした。 講演が終わり、その主催者から渡された一冊の本・・・ そこに 『大隅町と芙蓉の塔』とありました。 それは、かつて芙蓉部隊の飛行士だった方が 芙蓉部隊のことを、子細に書いたものだったのです。 それからというもの、私はのめり込むようにして 美濃部少佐と芙蓉部隊のことを調べ上げました。 生存者との巡り会い、 取材を拒否し続ける美濃部少佐のご遺族との まさかの全面協力・・・ ごく短期間に、信じがたいことが連続して起こり 気づけば、猛然と執筆に向かっていたのです。 実は私は、戦争のことだけは題材にすまい、としてきました。 私には戦争のことを書く体力も精神力もない そうわかっていたからです。 けれど、美濃部少佐と芙蓉部隊については もはや、有無を言わさずでした。 これは書かなければ・・・と、そんなことさえも もう忘れていました。 執筆中は、まさかの肺炎を発症しました。 ちょうどお盆の時で、英霊が集まってきていることは 十分に感じていました。 霊感のある友人は、私が「連れて行かれる」と恐れていたほどです。 四十度近い発熱が4日以上続き、お盆明けに病院に行くと 左肺が真っ白になっていました。 スピリチュアル的にいえば、 悲しみがあまりに深いとき 肺が白くなってしまうのです。 友人の心配は杞憂に終わり、 私は連れていかれは、しませんでした。 美濃部少佐が守ってくださったのだと思っています。 体力を消耗しながらも、後半を一気に書き上げて 無事、約束の原稿締め切り日であった8月31日に 編集者へ、送りました。 固唾をのんで見守っていた編集者は、泣いていました。 そうして完成したのが『五月の蛍』という一冊です。 生まれて初めて、 「これを書き終えたら死んでも構わない」 そう思えた本でした。 『五月の蛍』は終わらない物語 実は、原稿を書き終えるときに、 妙な感覚がありました。 美濃部少佐が、「去って行かない感じ」がしたのです。 今まで経験したことがないことでした。 歴史人物のことなどを書いているときには 近くにその存在を感じます。 そして、書き終えるときに、「お別れ」がきます。 去って行く(上がっていく)のを感じるのです。 それが、美濃部少佐は、ありませんでした。 不思議に思っていたのですが その理由は、やがて知るところとなりました。 『五月の蛍』を書き終えた、その後、 まるで、もうひとつの物語が始まったかのように 特攻隊や芙蓉部隊を中心とした英霊との 不思議な巡り会いが始まったのです。 それは謎解きのために用意された 神さまのお導きのようでした。 いえ、きっと、そうなのです。 そうして、 『五月の蛍』を執筆していた時の私には まだ知り得なかったようなことが、 次々と明らかになっていきました。 その究極は、特攻出撃が最もあった鹿屋基地から 海上自衛隊の航空機に乗って 特攻隊と同じ滑走路から飛び立ったこと! 眼下には鹿児島湾の海がきらきらと光っていました。 飛行機が旋回すると、鹿児島の町が見えました。 たくさんの家々、学校、公園・・・ 操縦席のすぐ後ろに座って 彼らが別れを告げた開聞岳を 小さな窓から目にしたときには 溢れる涙を止めることが出来ませんでした。 その、少し後のことです。 飛行機が大きく旋回し、再び、鹿屋基地を目指して 航路をとりました。 「僕たちは、こんなふうにして帰りたかったんだよ」 ・・・・。 勝手な想像と言われても構わない。 私には、そう、聞こえました。 彼らの、特攻出撃した彼らの、言葉にならない声が。 ああ、だから少佐は、どうしても拒否したんだ。 少佐の覚悟の理由も、肌で感じました。 護国の英雄は、今なお祖国を守っている 今回、久しぶりに、美濃部少佐と芙蓉部隊のこと そして、特攻作戦のことを、お伝えしたいと思いました。 かねてよりお伝えしているように、 私たちは今なお、英霊に守られています。 不安や恐れが生じるような大変化の時代にあって 昨年から始まったパンデミックは 私は「新手の戦争」だと見ています。 だからこそ、英霊は日本を守るために 今なお、眼には見えない戦いを繰り広げているのです。 そのもとで、私たちは 今日もこのようにして「ふだんの暮らし」を することができています。 今、彼らの生き方を、美濃部少佐の覚悟を知ることは 私たちが、これからの大きな変化の波を 力強く生き抜いていく上で、非常に大きな意味があると 私は確信しています。 抗えば命を奪われかねないような状況の中で それでもなお、信じるところを貫いていった。 この事実を、その覚悟の背景にあるものを 私は、もっともっと知っていただきたいのです。 私たちが、どんな力に守られているのか どんな存在に守られているのか、 それを知っていただきたい。 かつて、私たちと同じように、 家族があり友人があり 「明日がある」と信じていた人たちのことを。 戦争の話は苦手という人もいらっしゃることでしょう。 悲しく重い内容を、今は、聴くことができそうにないと 思われるかも知れません。 実際、戦争を扱ったものは、 落ち込むような内容が多いので そう感じるのもやむを得ないと思います。 けれど、これだけは言えます。 私がお伝えする美濃部少佐と芙蓉部隊のことは 衝撃になるとは思いますが 力と勇気にもなるはずです。 私にしか、語ることのできない 内容です。 みなさんが、彼らの大きな愛を感じてくださったら・・・ それはまさしく 慰霊にほかなりません。 一人でも多くの人に、この願いが届きますように。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。
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アーカイブ【ウィズコロナ時代に活かす栄養療法】コロナとワクチンの真実&もしもの時の対応(ビジタ-様申込)
¥5,000
【ウィズコロナ時代に活かす栄養療法】厳寒期の健康維持&もしもの時の対応 ※アーカイブでのご受講となります。お申込のお手続き後に、URLをお知らせいたします。 ◆尾﨑道郎先生(埼玉医科大学病院 麻酔科/オーソモレキュラー療法) 石川真理子(医療ジャーナリスト/日本ホリスティック医学協会会員) 相次ぐ変異種の発見やワクチン摂取による重篤な状況の報告などが起きています。今後、さらに不安な状態になることが予想される今、疫病の実態を正しく理解し、冷静な対応をしていくことが肝要です。 そのためには、常日頃からの食事療法や生活習慣で体調を整え、免疫力を上げておくことが最適です。 のみならず、栄養療法でほとんどの病気が改善できることも実証されています。 このセミナーでは、医療現場で取り入れられている代表的な栄養療法「オーソモレキュラー療法」をベースに、誰でも簡単に生活に取り入れることができる方法を尾﨑道郎先生より伝授していただきます。 また、体調が悪化した時のためのサプリメント療法についてもお伝えし、もしもの時に備えることが出来るようにします。 感染症およびワクチンから自分と身近な人を守るために、ぜひご視聴ください。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。
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アーカイブ【ウィズコロナ時代に活かす栄養療法】コロナとワクチンの真実&もしもの時の対応(会員様申込)
¥4,000
【ウィズコロナ時代に活かす栄養療法】コロナとワクチンの真実&もしもの時の対応 ※アーカイブでのご受講となります。お申込のお手続き後に、URLをお知らせいたします。 ◆尾﨑道郎先生(埼玉医科大学病院 麻酔科/オーソモレキュラー療法) 石川真理子(医療ジャーナリスト/日本ホリスティック医学協会会員) 相次ぐ変異種の発見やワクチン摂取による重篤な状況の報告などが起きています。今後、さらに不安な状態になることが予想される今、疫病の実態を正しく理解し、冷静な対応をしていくことが肝要です。 そのためには、常日頃からの食事療法や生活習慣で体調を整え、免疫力を上げておくことが最適です。 のみならず、栄養療法でほとんどの病気が改善できることも実証されています。 このセミナーでは、医療現場で取り入れられている代表的な栄養療法「オーソモレキュラー療法」をベースに、誰でも簡単に生活に取り入れることができる方法を尾﨑道郎先生より伝授していただきます。 また、体調が悪化した時のためのサプリメント療法についてもお伝えし、もしもの時に備えることが出来るようにします。 感染症およびワクチンから自分と身近な人を守るために、ぜひご視聴ください。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。
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緊急対談セミナー・アーカイブ【医療従事者対象の治験について】(ビジター参加)
¥3,000
緊急対談セミナー【医療従事者対象の治験について】(ビジター参加) 3月8日(月)20:00~ ◆尾﨑道郎先生(埼玉医科大学病院 麻酔科/オーソモレキュラー療法) 石川真理子(医療ジャーナリスト/日本ホリスティック医学協会会員) 医療従事者に対するワクチンの治験について、詳細と対策をお伝えいたします。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。
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緊急対談セミナー・アーカイブ【医療従事者対象の治験について】(会員参加)
¥2,000
緊急対談セミナー【医療従事者対象の治験について】(会員参加) 3月8日(月)20:00~ ◆尾﨑道郎先生(埼玉医科大学病院 麻酔科/オーソモレキュラー療法) 石川真理子(医療ジャーナリスト/日本ホリスティック医学協会会員) 医療従事者に対するワクチンの治験について、詳細と対策をお伝えいたします。 ※重要※ 講座やイベントのチケット販売につきましては、お申し込みいただいた後、お礼状(ご案内状)と納品書をご購入から一週間以内にお送りいたします。大切に保管してくださいますようお願い申し上げます。 なお、配送物、配送方法、配送完了までの期間等については、特定商取引法に基づく表記も合わせてご参照ください。