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【アーカイブ】美濃部少佐と芙蓉部隊の物語(ビジター)

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特攻せず!独自の夜襲攻撃で終戦まで戦い抜いた
美濃部少佐と芙蓉部隊の物語

~日本を、部下を、愛し守ろうとした美濃部少佐の意識と覚悟~

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※アーカイブでのご視聴ですので、基本的にキャンセルは承りません。
ご了承ください。

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特攻せず!独自の夜襲攻撃で終戦まで戦い抜いた
美濃部少佐と芙蓉部隊の物語

~日本を、部下を、愛し守ろうとした美濃部少佐の意識と覚悟~

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壮絶を極めた沖縄戦。全軍特攻!の嵐の中、
ただ一人、特攻作戦を断固拒絶し、立ち上がった指揮官がいた


終戦の8月が訪れようとしています。
今年は戦後75年、沖縄返還から50年という節目の年となります。
昭和20年3月から6月にかけての沖縄戦では、
特攻作戦が展開され、多くの若い命が青い海に散っていきました。

居並ぶ参謀が「もはや特攻作戦しかない」という空気をつくる中、
たった一人、「異議あり!」と立ち上がった若き少佐がいました。

それが、海軍の美濃部正少佐です。

美濃部少佐は、最若年の指揮官であるにもかかわらず
大御所の参謀たちに向かって断固拒否を主張し、
そんなに特攻ができると思うのなら、
まずはここにいるお歴々が練習機に乗って
向かってくるがいい。私が零戦一機で、
すべて打ち落としてみせる!

とまで喝破したのです。


美濃部少佐を駆り立てたものは、何か。
なぜ芙蓉部隊は、限界突破できたのか。

戦時中、命令に逆らえば抗命罪となります。
ともすればその場で射殺ということにもなりかねません。

美濃部少佐は、それを承知の上で、
命令拒否をしたのでした。

のみならず、
どのような作戦を展開すれば良いのか
その作戦を実施するには、どのような訓練をすれば良いのか

誰も思いつかないような作戦計画を立て、実施したのです。

「たった一度の攻撃で、飛行士も飛行機も失うよりも
 必ず帰ってきて、何度でも戦いに出られるようにする方が
 どう考えたって建設的ではないか」

冷静に考えれば、誰もが導き出せる答えです。
しかし終戦末期、参謀も指揮官も思考停止状態となり
それができませんでした。
もし、考えついたとしても、それを実施するだけの
気力も能力も忍耐力も、失っていたといっていいでしょう。

それだけに、美濃部少佐の意識と覚悟と行動力は
驚異的とさえいえます。
そして、その美濃部少佐をひたすら信じ切って
限界を超える攻撃を続けた、
二十歳前後の若き隊員たちもまた、尋常ではありません。

武士道とは愛することと見つけたり


いったい、何が、彼らの限界を超えた戦いを
可能にしたのでしょうか。

私には、どうしても、
美濃部少佐の限りない愛が
すべての原動力になったとしか思えないのです。
「命は鴻毛よりも軽し」といわれ
「潔く死ぬことが日本男子の本懐」とばかり諭され
「特攻は各自の意思に任せる」としながらも実は強制。

世界の戦史をみても
「死ね」という命令はありえない・・・

そうした中、美濃部少佐は、日本の将来を担う
若い隊員たちを守りたいと願いました。

「次の日本を背負うのは、我々ではない、
 二十歳前後の若い彼らだ」

若干29歳の美濃部少佐の想いです。

戦って散るだけが戦争なのか。

敗戦確実となった今、戦後日本において
今度は「復興」という不屈の戦いが待っている。

私には、美濃部少佐がそこまで見越していたとしか思えません。

愛する故郷、日本を護るために
愛する部下には、生き残ってもらう必要があるのです。


芙蓉部隊のふるさと、岩川でまさかの出逢い

私が美濃部少佐と出会ったのは、
2016年5月14日、鹿児島県曽於市にある
岩川という小さな町でのことでした。

私は武士道を家庭の躾に生かすことをテーマにした
講演のために訪れたのであって
芙蓉部隊のことも、美濃部少佐のことも
まったく知りませんでした。

講演が終わり、その主催者から渡された一冊の本・・・

そこに

『大隅町と芙蓉の塔』とありました。

それは、かつて芙蓉部隊の飛行士だった方が
芙蓉部隊のことを、子細に書いたものだったのです。

それからというもの、私はのめり込むようにして
美濃部少佐と芙蓉部隊のことを調べ上げました。
生存者との巡り会い、
取材を拒否し続ける美濃部少佐のご遺族との
まさかの全面協力・・・

ごく短期間に、信じがたいことが連続して起こり
気づけば、猛然と執筆に向かっていたのです。

実は私は、戦争のことだけは題材にすまい、としてきました。

私には戦争のことを書く体力も精神力もない
そうわかっていたからです。

けれど、美濃部少佐と芙蓉部隊については
もはや、有無を言わさずでした。

これは書かなければ・・・と、そんなことさえも
もう忘れていました。

執筆中は、まさかの肺炎を発症しました。
ちょうどお盆の時で、英霊が集まってきていることは
十分に感じていました。
霊感のある友人は、私が「連れて行かれる」と恐れていたほどです。
四十度近い発熱が4日以上続き、お盆明けに病院に行くと
左肺が真っ白になっていました。

スピリチュアル的にいえば、
悲しみがあまりに深いとき
肺が白くなってしまうのです。

友人の心配は杞憂に終わり、
私は連れていかれは、しませんでした。

美濃部少佐が守ってくださったのだと思っています。

体力を消耗しながらも、後半を一気に書き上げて
無事、約束の原稿締め切り日であった8月31日に
編集者へ、送りました。
固唾をのんで見守っていた編集者は、泣いていました。

そうして完成したのが『五月の蛍』という一冊です。

生まれて初めて、

「これを書き終えたら死んでも構わない」

そう思えた本でした。


『五月の蛍』は終わらない物語

実は、原稿を書き終えるときに、
妙な感覚がありました。

美濃部少佐が、「去って行かない感じ」がしたのです。

今まで経験したことがないことでした。

歴史人物のことなどを書いているときには
近くにその存在を感じます。
そして、書き終えるときに、「お別れ」がきます。
去って行く(上がっていく)のを感じるのです。
それが、美濃部少佐は、ありませんでした。

不思議に思っていたのですが
その理由は、やがて知るところとなりました。

『五月の蛍』を書き終えた、その後、
まるで、もうひとつの物語が始まったかのように
特攻隊や芙蓉部隊を中心とした英霊との
不思議な巡り会いが始まったのです。

それは謎解きのために用意された
神さまのお導きのようでした。
いえ、きっと、そうなのです。

そうして、
『五月の蛍』を執筆していた時の私には
まだ知り得なかったようなことが、
次々と明らかになっていきました。

その究極は、特攻出撃が最もあった鹿屋基地から
海上自衛隊の航空機に乗って
特攻隊と同じ滑走路から飛び立ったこと!

眼下には鹿児島湾の海がきらきらと光っていました。
飛行機が旋回すると、鹿児島の町が見えました。
たくさんの家々、学校、公園・・・

操縦席のすぐ後ろに座って
彼らが別れを告げた開聞岳を
小さな窓から目にしたときには
溢れる涙を止めることが出来ませんでした。

その、少し後のことです。

飛行機が大きく旋回し、再び、鹿屋基地を目指して
航路をとりました。

「僕たちは、こんなふうにして帰りたかったんだよ」

・・・・。
勝手な想像と言われても構わない。
私には、そう、聞こえました。
彼らの、特攻出撃した彼らの、言葉にならない声が。

ああ、だから少佐は、どうしても拒否したんだ。

少佐の覚悟の理由も、肌で感じました。


護国の英雄は、今なお祖国を守っている

今回、久しぶりに、美濃部少佐と芙蓉部隊のこと
そして、特攻作戦のことを、お伝えしたいと思いました。

かねてよりお伝えしているように、
私たちは今なお、英霊に守られています。

不安や恐れが生じるような大変化の時代にあって
昨年から始まったパンデミックは
私は「新手の戦争」だと見ています。
だからこそ、英霊は日本を守るために
今なお、眼には見えない戦いを繰り広げているのです。

そのもとで、私たちは
今日もこのようにして「ふだんの暮らし」を
することができています。

今、彼らの生き方を、美濃部少佐の覚悟を知ることは
私たちが、これからの大きな変化の波を
力強く生き抜いていく上で、非常に大きな意味があると
私は確信しています。

抗えば命を奪われかねないような状況の中で
それでもなお、信じるところを貫いていった。

この事実を、その覚悟の背景にあるものを
私は、もっともっと知っていただきたいのです。

私たちが、どんな力に守られているのか
どんな存在に守られているのか、
それを知っていただきたい。

かつて、私たちと同じように、
家族があり友人があり
「明日がある」と信じていた人たちのことを。


戦争の話は苦手という人もいらっしゃることでしょう。
悲しく重い内容を、今は、聴くことができそうにないと
思われるかも知れません。

実際、戦争を扱ったものは、
落ち込むような内容が多いので
そう感じるのもやむを得ないと思います。

けれど、これだけは言えます。
私がお伝えする美濃部少佐と芙蓉部隊のことは
衝撃になるとは思いますが
力と勇気にもなるはずです。

私にしか、語ることのできない
内容です。

みなさんが、彼らの大きな愛を感じてくださったら・・・
それはまさしく
慰霊にほかなりません。


一人でも多くの人に、この願いが届きますように。


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