2021/05/09 18:20
皆様ごきげんよう
事務局のAkikoです
あっという間にゴールデンウィークも終わりましたね
今年は近場でゆったり過ごされたという方が
多かったかもしれません
皆様はどのように過ごされましたでしょうか?
真理子先生は
このゴールデンウィーク中も
時代創出プロデューサーの吉田就彦さんとの
対談セミナーをされたり
ときめきの富士の写真家でいらっしゃる
ロッキー田中さんとの
YouTubeライブ配信をされたり
次なる講座の準備をされたりと
忙しいウィークを過ごしていらっしゃいました
私は真理子先生の活動の
お手伝いをさせていただきながら
色々なことに触れることで
自分なりに勉強させていただけることに
感謝だなとつくづく思います
そして、このように皆様に向けて
ブログを書かせていただいていることにも
本当に感謝です
真理子先生
ブログを読んでくださっている皆様
本当にありがとうございます
さて、今日は
5月3日に行われました
吉田就彦さんとの対談セミナーを拝聴して
私なりに感じたことを
シェアリングさせていただきます
『風を呼ぶ、風を起こす
自分プロデュース時代の思考法』
と題して行われた対談セミナー
時代創出プロデューサーの吉田就彦さんから
吉田さんが定義するプロデューサーとは
ということをたくさんの資料をもとに
分かりやすくご説明いただきました
その後に
真理子先生との対談タイムがありました
最後の質問コーナーでは
吉田さんが手がけてこられた
チェッカーズやおニャン子クラブの話しも伺え
あっという間のお時間でした
個人的には
「プロデューサー」というと
実際にお会いしたことはありませんが
テレビ業界にいらっしゃるプロデューサーさんを
イメージしてたのですが
カーディガンを、着るのではなく
肩から掛けているおじさんです
いつの時代よ!!と突っ込まれるくらい
古ーいイメージですよね
吉田さんからのお話しを聞きながら
私の時代錯誤なプロデューサー像は
ガラガラと音を立てて崩れていったのはもちろん
自分ごととしてとらえてみることで
だいぶ身近に感じられました
吉田さんのようにプロのプロデューサーとして
活躍できる方は多くないにしても
誰かから与えてもらうのではなくて
自分からつかみに行くということを
意識してこれから過ごしていくだけでも
だいぶ違う
そして
失敗するかどうか心配するよりも
とにかくやってみるということが
大事なんだなと感じました
意外なことに
ずっとプロデューサーとして
活躍してこられた吉田さんでも
ヒットを飛ばせたことの方が少ないのだそうです
さらに
ものすごくヒットすると感じながら
手掛けた仕事がそうでもなかったり
逆にこれがこんなにヒットするんだと
びっくりすることもあったそうです
このお話しを通して私がメモメモ!!と思ったのは
吉田さんはいつも、どんな仕事でも
一貫してやってこられたことは
全力でやりきること
どんな仕事にも手を抜かないで
やってきたからこそ
たとえ結果が失敗だったとしても
それを一つの経験として次に行けた
100を目指したけど3という結果になった場合でも
一度これで良しと区切りをつけることが大事だとも
おっしゃられていました
ここからは、私事で恐縮ですが
2年ほど前まで司会の仕事をしておりまして
その時に自分がしていたことと
ちょっと似ているなと思たので
1つの例えとしてシェアさせていただきます
私の司会者としての主な仕事は
結婚披露宴の司会をするというものでした
一応20年ほどプロとしてやらせていただきました
振り返ってみると
この間に披露宴の形も変わっていきましたね
駆け出しのころは家と家との結婚というのが
披露宴にも色濃く残っていて
ご媒酌人ご夫妻が新郎新婦と一緒に入場したり
高砂に並んで座っていたり
事前のお打ち合わせの時にも
ご両家のご両親様と一緒に大勢で打合せ
ということも良くありましたね
家と家との結婚という意識が色濃かった時は
披露宴とはこういうものという決まった形があったのが
時と共に披露宴とはお2人が主催して
ご両親はお金も出さないし口も出さない
という風に変わってきたので
披露宴の中身も色々とアレンジされて
最後の方は
披露宴の進行に悩む新郎新婦に対して
「特にこれをしなければいけないという決まりはないですよ」
というアドバイスまでするようになっていました
ちょっと話がそれましたが
20年の間に私自身のスキルも上がっていき
駆け出しのころと20年目の時とは
声の質もフリートークの内容も
仕事の精度も違っていたとは思いますが
一貫して心がけていたことは
いつも精いっぱいやることでした
ご存知の通り披露宴と言っても様々です
広いホールで何百人もご招待して行われたり
こじんまりとご親族だけで食事会に近い形で行われたり
変な話し、その時々で私がいただけるギャラも違ったし
ご両親や新郎新婦からお心づけを頂戴する時もありました
「しゃべることが少なくて今日は楽だね」と
良くお世話になっていた会場のスタッフさんから
お声をかけれらる時もありました
だけれども
私の中ではいつでも
自分なりに精いっぱいやらせていただく
というポリシーを持って臨んでいたなと
思ったわけです
列席者が多いから頑張るでもなく
しゃべることが少ないから気を抜くでもなく
余計にお金をいただいたから
その分サービスするでもない
もちろん、その日によって
声の調子がイマイチだったり
なぜかよく言葉を噛むということもありましたし
中には
お名前を読み間違えたり
ご紹介する順番を飛ばしたりしたこともあります
でも
その都度私なりにできる範囲でやってきたし
誠意をもってお詫びしたりしてきました
お客様によっては
謝罪文を書いたり司会者への支払いが無し
になったこともあります
失敗したから、うまくしゃべれなかったから
と司会の仕事を辞めなかったのは
吉田さんの言うところの
いつでも全力でやるということと
どんな結果であれ一区切りをつけてきたから
に近いのかなと思ったわけです
今はもう司会の仕事はしていませんが
嫌になって辞めたのではありません
たくさんの経験ができ
たくさんのご縁をいただけたことに
今でも感謝しております
ちょっと長くなりましたが
自分自身の人生に関しても
結局は同じことなんだなと思った次第です
果たしてどこまでやれるのかは
分かりませんが
↑
分からんのかい!!(笑)
吉田さんは
結局は何のためにプロデュースをするのか
が大事だと言われていました
何のため?
お金が欲しいから?
地位が欲しいから?
他人から認められたいから?
いやいや
その先の何?ですよね
あえてここではコレとは申しませんが
ここが自分の中に腑に落ちていたら
これからの人生はきっと最強ですね
ということで
今日はちょっと長めになりましたが
最後までお付き合いくださり
ありがとうございました